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詩のアマチュア L'AMATEUR DE POÈMES


         詩のアマチュア

「もし」私が突然私の本当の思考を凝視するならば、
私は人称のない出自のない心の内の言葉に耐えなけ
ればならないことを自ら慰めはしない。心の内の言
葉とは束の間のもの、そしていくつもの企ての無限、
それらは自らの容易さによって中断されている、容
易さは結局変わる、それらの企てとともに何も変わ
らないのではない。仮象なしで脈絡のない、全くす
ぐにではない、自然発生的であるような、思考は、
その本性から、文体を欠いている。

「だが」私は毎日なんらかの必要な存在を私の注意
に対して提案する能力を持っていないし、私の耐え
られない逃走の代りに、始めと充実と終わりの外見
を形作るような、精神的な諸障害を装う能力も持っ
ていない。

「詩」というものは持続である、その間、読者とし
て、私は準備された一法則を呼吸する。私は私の息
と私の声の諸器官を与える。すなわちただそれらの
力だけだ、それは沈黙と両立する。

「私」は素晴らしい進展に身をゆだねる。語が導く
ところを読み、生きる。それらの出現は書かれてい
る。それらのハーモニーは合奏されている。それら
の刺激は以前の瞑想に基づいて構成される、そして
それらは壮麗あるいは純粋な集まりをなして突進す
るだろう、反響のなかに。私の驚きさえ確保されて
いる。その驚きは前もって隠されていて、諧調の一
部をなしている。

「動かされ」、運命の文字によるのだが、そしても
し常に来るべき韻律が私の記憶を永久に鎖でつなぐ
ならば、私はそれぞれの言葉をすべてのその力に従
って感じる、それを際限なく待っていたために。そ
の韻律的文節は、私を運び私が彩るが、私を真実と
虚偽から守る。疑いは私を分裂しないし、理性も私
を苦しめない。皆無の偶然、しかし異常な運は強く
なる。私は努力なしにこの幸福な言葉を見つける。
しかも私は技巧により思考する、思考とは、全く確
実で、不思議なほど予見的で、― 計算されたすき
間があり、無意志の暗闇なしに、その運動が私に命
令し、音節の長短が私を満たす。思考とは独自に完
成されたものだ。


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